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2016年5月27日金曜日

人間の尺度

また、気になる東京新聞の記事の切り抜きがたまってきました。

■宮子あずさの「本音のコラム」より
安いチケットで海外に行き
安宿に泊まっても働ける首長を求めるならば
若い人を選ぶのが賢明だと考える。

高齢者に都知事や市長という大きな仕事を任せるならば
今回のように快適な移動や宿泊など
さまざまな形でコストがかかる可能性がある。

今後の選挙では、こうした見地からも
候補者を見なければならないと学ばせてもらった。

笑った。
ごもっとも。
選んだ我々の責任だ。


■斉藤美奈子の「本音のコラム」より
熊本地震で、川内原発、なぜとめないの?
ふつう、目の前で大地震が起きてるのに、念のためでも止めない?
規制委員会の田中俊一は
「不確実性があることも踏まえて評価しており」
「懸念がある場合は止めることもできるが」
「今のところ科学的根拠がない」
と述べた。
その言葉には、様々な思惑を感じる。

やっと再稼働にこぎつけたのにそう簡単に止められるかという意地。
ここで止めたら、二度と再稼働できなるかもという不安。
危機を乗りこえれば日本の原発の安全性が立証できるという期待。
停止を求める声に屈したら負けだというメンツ。
停止に伴うリスクを負いたくないという自己保身。

先の戦争を止められなかった理由とすべて同じだ。

こうして人災は何度でも繰り返されるのである。

原発再稼働は・・・
推進してきた自民党の意地なんでしょう。


■「県の動物センター建て替え資金募集」
県は、新年度の寄付金を3億円と目標に掲げる。
達成は難しいと言われているが・・・
黒岩知事は「これから本格化する」と自信を見せる。
建設費は11億円。
芸能人を使った啓発活動や広告をしているが3430万円にとどまる

28年度に過去最高の2兆137億円を使う神奈川県。
それが、平塚の動物センターの老朽化による建て替えを・・・
募金等で補うそうです。(無能知事)


■強いものを体に取り入れる
先日、不可能と言われた「無農薬リンゴ」の成功者の本を読んだ。
その人が山に入ったとき、虫に食われず立派に育つクルミの木を発見した。
人の手が加わっていないのに凄いと思い、調べたらその答えは土にあった。
その強い土を研究し、成功させたのだと。
自然の中で育っている植物には、すごい力がある。
天然の物を採り入れたい。

しかし、天然の物なんて見つからない。
なぜなら、店で売られている食材は、量産化を考え
おとなしく作られているものばかり。
薬品に甘やかされている、弱い食べ物。
しかも加工されていれば、大抵添加物が入っている。

「天然の力を体に入れる」
こんな時代だからこそ、必要だと思う。

これだけ偽造ばかりですから・・・
実際天然ものと売っていても、いち消費者と成り下がってしまったら・・・
本当かどうかは、判断することは不可能な世の中となってきました。


■AKBはシェルターか?
今は、個人ではなく群れが時代の顔になっている。
不安を抱えた人々は群成するものを見ると安心する。
AKBなどは、不安な人々にとって危機回避のシェルターで
3.11直後は特にそうなった。

ほほ~
前々から「なんでAKBが売れるんだろう?」という疑問が・・・
この記事で解決してしまいました。(^^;)


■山口二郎の「本年のコラム」より
スポーツ選手や芸能人が
良い仕事を褒められる状況でのインタビューの中で
やたらと感謝という言葉を口にするのが気になる。
自分一人の手柄ではなく、支援してくれた人々に感謝したいという気持ちにケチをつけるわけではない。
しかし、感謝が乱発されると・・・・
それは謙虚な感情の発露というよりも、世渡りの技法に思えてくる。
とりあえず、世間に向かって感謝といっておけば、叩かれることはないだろうという教訓を
若い人々も体得しているのだろう。

そう言われてみれば、皆、同じ感謝の言葉を吐きますね。
面白い。


■加藤百合子の「紙つぶて」より
静岡の田舎にある私の会社に、東京の企業に勤めている方から
就職を希望する問い合わせを度々いただきます。
必ず生活は便利ではないことを告げますが・・・
それでも今まで、4人が東京から移住し、うち3人が今でも一緒に働いています。
全員がもう、東京には戻りたくないと言います。
私自身、静岡に来て180度価値観が変わりました。
東京にいたときの私は、5分と待てないせっかちでした。
何かに追われるように、いくつもの用事をこなし
さまざまな会合に参加していました。
しかし、静岡に来てからは、ご近所付き合いや子供を通じて
日常の自然や会話を楽しむことの豊かさに気が付くことができました。
もし東京で・・・
今のままで良いのかと悩んでいたら
少しでも地方へ目を向けてみてはどうでしょうか?
東京信奉から抜ければ、別の宝物が見えてくるかもしれません。

田舎暮らし、憧れます。
50歳になったら、実行したいです。


■加藤百合子の「紙つぶて」より
日銀のマイナス金利を受けて、予想外の株価下落や円高に動揺が広がりましたが
地域の農業現場に慌てる雰囲気はありません。
TPPもあり、輸出しましょうと推し進めていますから
影響を受けないように閉ざした産業ではいけないという声さえ聞こえてきそうです。

しかし、見方を変えれば・・・
農業が為替や株価という貨幣経済に左右されない強い産業だからではないでしょうか。
ちょっとした田畑があれば、一家が生きていくための野菜や米は育てられます。
海や川に行けば、魚介類が捕れ、山ではシカやイノシシ、鳥だって捕れます。
自給自足しなくても、ブツブツ交換ができます。
何があっても、食っていける。
この安心感は、何にも代えがたい強いものです。
私が非農家出身だから
余計にそう感じるのかもしれません。
農業事業を始めて、6年たった去年末
ようやく生産に着手できました。
ずっと憧れていた「つくれる強さ」を手に入れたのです。
分業が進み、忘れがちですが・・・
そもそも何のために働くかといえば、食べ物を手に入れるためなんです。

「最後に生き残るのは百姓」という言葉。
本当にそう思います。
↓私の1年半前のブログです。
http://heisei-shonan.blogspot.jp/2014/12/blog-post_27.html

震災があったとき・・・
自分で食べ物を「生産できる力」は、強大ですね。


■森本智之の「文化」より
日本を代表する建築家「村野藤吾」の作品を模型で紹介する企画展があった。
目黒区美術館の企画展に合わせ開いた講演会で
建築評論家の長谷川堯さんの村野氏への評価した言葉が印象的だった。

「人間の尺度で建物を設計した人」

簡単に言えば・・・
その建物を使う人、一人一人のことを考えて設計ができた人ということらしい。
英語で建築とはアーキテクチャーであってビルディングではない。
その違いは、建物の持つ意味やその歴史、文化まで含んでいるかどうか。
そこまで考えて初めて、人々に愛され長く親しまれる建築物になる。
周辺の環境に見合ったデザインであればこそ、土地になじみ、一人一人に愛される。
広島の世界平和記念聖堂は村野の代表作の一つだが
落成のあいさつに立った村野はこう言った。
「十年、二十年後にこの建物の前に立って、もう一度善し悪しを評価してほしい」

実は、この聖堂を巡っては、ある事件があった。
48年、設計者を決めるコンペが行われた。
丹下健三をはじめ多くの建築家が参加したが、結果は、一等の該当者なし。
村野は審査員として参加していたにもかかわらず
教会側の意向を受ける形で設計を引き受けてしまいます。
これが「コンペ破り」として、厳しい批判にさらされることになった。

だが、その批判を乗り越えるほどの魅力が・・・
聖堂にはあった。
2006年には、戦後建築として初めて、国の重要文化財に指定された。
聖堂が今も広島市民に愛される建物になったのは
「人間の尺度」を重視した村野の作品であったからこそ、である。

講演の中で長谷川さんは「日本建築界最大の事件」といわれる
新国立競技場の問題に言及した。

ザハ・ハディドさんの未来的なデザインに調和という発想は無く
スケールや形態の斬新さで
東京という都市空間が持つ意味を決定的に変えてしまう可能性があった・・・と。

今も1984年に亡くなられた村野藤吾の建築から学ぶことはたくさんある。

人間の尺度とは、人の手で保ち、収まるものを言います。
すべてに当てはめ、人が作るものは、その尺度内であるべきだと思います。

手に負えない「負の遺産」は、未来に残したくないですね。


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