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2016年3月1日火曜日

修行論

最近、このフレーズが耳から離れません。

修業とは
あらかじめ設定されたゴールを目指して努力する事では無く

一生懸命やっているうちに
昨日の自分と違った自分になっていることに
気が付く事だ。


by内田樹

「日々修行」
「人生即修行」

なんて言葉がありますね。

良い成績をとりたい
良い高校・大学に入りたい
一流企業に就職したい
カッコイイ彼氏が欲しい
可愛い彼女が欲しい
高収入の結婚相手を探したい
料理上手の妻とめぐり逢いたい
Z1に跨りたい
フェラーリに乗りたい
トランペットを上手く吹きたい
ドラムを上手に叩きたい
ギターを弾き語りたい
格闘技が強くなりたい
テニスが強くなりたい
より早い玉を投げたい
100m走を11秒切りたい
より高重量の重りを上げたい
試合に勝ちたい
甲子園に出たい
美味しいラーメンを作りたい
歌が上手くなりたい
踊りが上手くなりたい
ダンサーになりたい
起業したい
良い家を手に入れたい
リフォームしたい
良い国にしたい

人の欲望の数々。
でも、自己満足や夢で終わってしまう事が多い。
なぜ?

それは・・・
多くの人が・・・
これらを修行として捉えていないからなのではないでしょうか?

「生是修業」です。

夢は、人の数だけ、星の数ほどあります。
ただ、人が一人見れる夢は、一つや二つ。
そして、何をすればその夢が叶えられるのか、あまりにも無知です。
よって、叶えられない。
だから「夢」と表現される。

「人は無限の可能性を秘めている」

という言葉があります。
でも、ほとんどの人が自分の才能を見いだせず・・・
死んでいっている。

トランペットの天才的な才能をもった女性が、一度もトランペットに触ることなく生涯を終えているかもしれません。
世界的デザイナーとしての才能を知ることなく、運動選手として生涯を終えている人もいるでしょう。

とすると、世界的に天才と言われている人は・・・
天才なのではなく・・・
「自分の中の潜在的な才能にたどり着いた人」
と言ったほうが、正しいのだと、個人的に思うのです。

そこにたどり着くにはどうしたらいいのか?
その答えが、内田樹さんの言葉なのではないのでしょうか?

昨日とは、ほんの少しでも違う自分になる。

そのために、勉強する。
そのために、トレーニングをする。
それが、人生の正解なんじゃないか。

「必要な段階に至った時、師は目の前に現れる」

ということわざがあります。

準備が整えば、望む道は必ず開かれるという意味です。
なるほど、そういうことか。
42歳にして、気付がつかされた思いがします。

遅かったな~。
子供たちに、教えてあげたい。

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