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2015年6月29日月曜日

違和感

最近の世間の動向は・・・
どうにも、違和感しか感じません。

「何が何でも集団的自衛権が必要」という主張も・・・
「何が何でも憲法9条が必要」という主張も・・・

お互いが一方的過ぎて、全く噛み合わない様。

お互いが、「我々の平和を守れ。」と、言っています。

しかし、その主張の中には、一番大事なものが抜け落ちています。

この写真、見てください。


今、この瞬間におきている風景です。

我々が平穏に晩御飯にあり付いている時と同じくして・・・

こんな世界が、実在するんです。

同じ地球上。

同じ、時間。

同じ、空の下。

イラクやシリア等の国々では・・・
我々が見るのと同じ青い空から、毎日、爆弾が降っています。

イスラム国と戦うためと称して・・・
多くの一般市民が、平然と巻き込まれ、虐殺されています。

おかしいのです。
アメリカや他先進国の空爆の建前は「一般国民をイスラム国の脅威から守るため」だった筈。

家が燃え・・・
職場が潰れ・・・
ライフラインが破壊され・・・

仕事もなくなり、食べるものも、飲むものも無くなる。

親が殺され、妻が殺され、子供も死んでしまった。

さて、そうなったら・・・
一般人だった父親は、どうすればいいのでしょう?
貴方だったら、どうしますか?

死ぬしか、ないですね。
それ以外で残された道は、復讐心に身を任せ、テロリストになるしか有りませんよ。

なぜ、これだけ攻撃され殺され続けているイスラム国が・・・
日に日に、ますます勢力を拡大しているのか?
なぜ、そこが議論にならないのか??

馬鹿でも解るでしょ?

個人の苦しみと悲しみが、テロを生んでいるんですよ。

なぜ、皆、そこを見て見ぬふりしているのか?
なぜ、「平和の国」を掲げる日本で、議論にならないのか?
「世界最大の空爆」を受け、その恐ろしさを一番知っている国民が、なぜ止めろと言わないのか?

本来ならば、救出が高らかに叫ばれる一般の人の命です。
先進国の人間なら、たった一人でも、国ぐるみで救出される一般人。
何億円も払ってでも救出される命です。

しかし、「テロとの戦い」というレッテルが張られたら最後・・・
街にテロリストがいれば、その他大勢が居ても爆弾投下。

女・子供・老人・妊婦・赤ちゃん、病人、一切関係なく木端微塵です。

人の命が・・・「命」では無くなってしまっています。

私の感じている違和感はなんだと思います?

多分「日本人が皆、この空爆を受け入れている。」ことが原因だと。

皆、「平和」「平和」って言うけど・・・
結局、そこにあるのは・・・

「今の自由気ままな生活を崩されたくない。」
「戦争に行きたくない。」
「日本では、テロが起きてほしくない。」

はたまた・・・

「アメリカに追随したい。」
「世界の覇権者側にいたい。」
「中国や北朝鮮、ロシアに直接圧力を掛けたい。」

今、この瞬間に奪われている命に対して・・・
「助けたい」
とか
「救出したい」

とかいう、言葉が・・・

右を見ても、左を見ても、新聞をみても、TVを見ても、皆無。

なんだ、この世の中は?

正直、気持ち悪い。

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